ストレス社会に生きていくということ

人は仕事をしている時に言わば外の顔になる。

ペルソナという言葉は仮面という意味があるらしいが、まさに仮面を被って生きている。

 

仮面を被っているときは、その役割を演じようと必死である。ただ仮面はあくまでもキャラであり、奥底には違う思いもある。

 

仮面を演じるために我慢することも多々あるだろう。

仮面と仮面を外した本来の自分のギャップがあればあるほど人は苦しむ。

 

あるがままに生きるという言葉が格言として生きてくるのは、そうした仮面を被っている現代人に向けてだと思う。

 

本来の自分を少しずつ仮面の中に出していければ、ギャップは少なくなり、葛藤も減っていくかもしれない。

 

人は誰しも表と裏がある。

表を演じるために、裏に気持ちを押し込める。

いつか裏に押し込めた気持ちがピークを超えて、

様々な病気となって現れてくるのかもしれない。

 

だから裏の部分を表に出していくのは大切なことであるのだ。

 

一昔前は祭りがその役割を果たしたのかもしれない。

各地で行われている荒々しい祭りは、そんな人の裏の部分を公にさらけ出しても良い日なのだ。

神輿を担いでぶつけ合ったり、鬼となって子供を脅かしたり、荒々しい気持ちのはけ口がそこにはあったのかもしれない。

 

現代人はどうだろう?

裏の部分を開放する手段を持ち合わせているだろうか?

 

心の奥に抑圧したものを解放する手段。

 

いわゆる趣味というものがその役割を担っていることが多い。スポーツ、釣り、ゲーム、映画鑑賞、カラオケなど様々な趣味にそれをぶつける人も多いだろう。

 

ある意味回答の一つとしては間違いない。

 

マインドフルネスという座禅のような瞑想も有効な手段だろう。目を閉じて、心を無に近づけようと呼吸に集中していくと、はじめはいろいろな雑念を浮かんでくるが最後は無に近づいていく。

 

寝る時に見る夢はどうだろう?

抑圧したなにかが夢に出てくることは多い。

夢に見たことを書き留めて、あとでゆっくりと思い返してみると、自分が何を恐れていたり、何をしたいのか、奥底で思っていた気持ちを再発見することがある。

 

抑圧していたこころを開放していくことに、もっと注力する必要がこのストレス社会にはあるような気がするのだ。