勧善懲悪に見るメンタリティ

日本人は勧善懲悪が好きな人が多い。

水戸黄門に代表される時代ものでもそうだし、大ヒットした半沢直樹など人気の池井戸潤シリーズにもその傾向は見られる。

 

勧善懲悪とは、善を勧めて、悪を懲らしめるという字の通り、善行をするものが、世にはびこる悪を徹底的にやっつける。

 

この勧善懲悪のストーリーを見る人は、スカッとするわけである。そういえば内村さんのバラエティにもそんなのがあったなぁ。スカッとバラエティ。

 

では、その悪を徹底的にやっつけて懲らしめることにカタルシスを感じるメンタリティとはなんぞや?と考えた時に、いまの日本のストレス社会が垣間見える。

 

仕事では、社内にも社外にも悪とまではいかなくても自分の思い通りにならない敵がいっぱいいて、日々その敵と対峙し、我慢して、どうにかこうにか丸く収めて家路につく。我慢、我慢、我慢。家に帰っても、ともすれば家族に責め立てられることもあるかもしれない。

 

そんな思い通りにならなくて、抑えつけていた自分は、普段は言うことのできない上司やお客様などに対して、これでもかというくらい相手の悪を晒し、咎め、やっつけるドラマやバラエティにカタルシスを感じるのだ。

 

昨今の有名人のSNSの炎上も、一種の勧善懲悪のドラマを見る人と同じメンタリティがそこにはあるような気がする。

 

普段、我慢の連続のワタシは、匿名のSNSで有名人の投稿をチェックして、少しでも不用意な発言が見られると、ここぞばかりに相手を晒し、咎め、やっつける。有名人は謝罪に追い込まれることも多く。そこにカタルシスを感じる。

 

土俵は違えど、この二つの事例はストレス社会のはけ口として作用してるような気がしてならないのである。